20221117

織山のブログを読んだ。

 

私は割と織山にはあまり感情がないほうだと思う。というか彼が持つ鬱屈であったりの等身大さは既視感がありすぎて、まだそれを受け入れられる度量は私にはないのだ。だからまだ好きにもなれないし嫌いにもなれない。

でも、今回のブログを読んでいろいろ感情が出てきたから書き残しておこうと思う。

 

というのも、まあ主に少クラの今についての話なんだけど。

なんか少年忍者が少クラでやった今は燃えているらしい。インターネット上で。

 

正直なんでなのかまったくわからないんだけど、まあ燃えるときは勝手に火が付くからそういうことなんでしょう

 

そもそも『今』をやったきっかけはジャニーさんが夢枕に立ち、昔のうちわくこきの今がよかったと話していたかららしい

それで実際に起きてから歌詞を見たら今の状況がそのまま書いてあってやろうと決めた、みたいな内容だったんだけど。

 

あまりにも宗教じゃないか?

 

この間キンプリがジャニーさんと海外を約束していて、それがかなえられなくなったからやめるみたいな話をしていた時も思ったんだけど、現在のジャニーズ事務所ってジャニー喜多川一神教だったものが逝去によってただ一つだった正解が神の解釈によってそれぞれ変わってくるようになって解釈割れを起こした結果の惨事という側面がかなり大きいのではないか。

 

思ってたよりジャニー喜多川って、彼らの中で神だったのではないかって。神を神たらしめてるものがなんなのかはわからないけど。

 

織山のブログでサンチェと思わしき振付師があの人もきっとほめてくれるって言ってるんだけど、それも含めてぽいなあと思った。たぶん振付師と忍者は比較的ジャニー喜多川への解釈が一致してるんじゃないかな。

 

ジャニーさんって正直加害者だしなんでこんなに慕われてるんだろうって思ってるけど、でも彼ら、まあ少なくとも結構目をかけられていた子たちにとってはジャニー喜多川唯一神なのかもしれない。

 

そう、だからもう聖書でも作った方がいいんじゃないか。立証できる言葉だけ集めて聖書を作ってそれをそれぞれで解釈して一致した人で動けばいいと思う。ジャニーズ事務所は最初からアイドル事務所とかではなくて、一種の信仰だったんだよ。

 

私は少年忍者のオタクで、内村颯太のオタクだから余計にそんなことばかり考えている。

 

ジャニーズっぽくないが誉め言葉として使われ続けるような世の中で、ジャニー喜多川を信仰する態度をもつようなジャニーズで居続けることは彼らにとって重要なアイデンティティでプライドであって、でももうそれが大衆に理解されることはないんだろうなという寂しさがある。

 

胴上げが、とか織山が一人で踊りだすのが、とか内村のジャニーさん!がとか。たしかに全部変だし全然意味わかんないけどそういうものを全部わかりやすくしようとする人がいっぱいいるからこんな世の中なんだろうな。

 

なんか、本当に悲しくなった。

 

内村のあいさつがたたかれていることも、何もかも全部全く納得いってない。大人であれ、まともであれ、型からでるな、そうやって切り落としてちゃんとしている人だけを残して、愛そうとするのなんてつまらないよ。

アイドルってありえないからアイドルなのに。

 

 

てかさー、そもそも人の曲の解釈に文句つけんなよ現代文じゃねえんだからさー。つまんねえことするな!!!!

なんかもうほんとインターネット見ないでほしい

ほんとつらい こんな世の中じゃポイズン